文科省事件を生む補助金の体質

文科省の官僚による、なんとも哀しい事件が起きました。息子を裏口入学させる代わりに、その大学に補助金を付けるように便宜をはかった、という「受託収賄」の疑いで、文科省の現役の局長が東京地検特捜部に逮捕されたのです。事実だとすれば、という注釈が付きますが、財務次官によるセクハラ事件と同じように、エリート官僚といわれる人たちの品性のなさには言葉を失います。

官僚にも品性の立派な人たちはたくさんいると思います。しかし、自分の持つ権力を私欲に利用する官僚が「出世コース」を歩んでいることに、霞が関の闇が深いことを感じます。ホステス代わりにテレビ局の女性記者を呼ぶ次官がいるのなら、息子のコネ入学を監督先の大学に頼む局長がいても不思議ではありません。日本の経済的な没落は、国全体のGDPでも、1人当たりのGDPでも明らかですが、このところの役人のふるまいを見ていると、国をあげて三等国への転落は速まっているようです。

森友・加計問題で、役人たちが首相夫人や官邸の意向を「忖度」することに汲々となっている姿が浮き彫りになりました。こうした“政治案件”で公務員の倫理がないがしろにされている空気のなかでは、“個人案件”でも、倫理が踏みにじられていくということでしょう。まじめに仕事をするのがばかばかしい空気が霞が関には流れているのではないでしょうか。

そういえば、財務省が公文書を改ざんした問題で、元局長が国会で証人喚問されたときに、「刑事訴追を受けるおそれがある」という言葉を連発しているのに違和感を覚えました。そのことが証言を拒否できる理由になることは承知していますが、刑事訴追を受けるのは個人であって、いわば私益です。国家のために働いている人の模範となるべき元局長が、刑事訴追を受けたくないという自分の私益のために、公的な義務である証言を拒むのに、恥じらいを持たない姿に驚いたのです。

役所を守るためか、政治家を守るためか、知りませんが、証言を拒否するなら、証言法違反の罪を自ら引き受けることが役人道=吏道でしょう。かれらに共通していえることは、私益と省益はあるのかもしれませんが、国民益=国益は、まったく考えていないということです。国の政策をつかさどる人たちが国民の利益を考えていないのですから、その国家が衰退するのは当然です。息子のために便宜をはかる役人は、自分の天下り先のためなら、その何倍もの税金を使って、便宜をはかるでしょう。

ところで、息子の裏口入学に使われたという「私立大学研究ブランディング事業」は、いかにも日本的な補助金事業で、大学のブランディングを高める事業とは到底思えません。文科省の白書には、「学長のリーダーシップの下、大学の特色ある研究を基軸として、全学的な独自色を大きく打ち出す取組を行う私立大学に対して重点的に支援する『私立大学研究ブランディング事業』を新たに創設しました」とあります。しかし、大学のブランドは自力でつくるのが当たりまえで、文科省が補助金のエサをぶら下げなければ、ブランドが築けないという発想というか仕組み自体がおかしいと思わないのでしょうか。

少子化が進むなかで大学がこれまで以上に特色を出していかなければならないのは当然で、まさにブランディングは必要でしょう。そのためにはコストがかかるのも当然ですが、そのための事業を文科省が選定するという発想は、文科省の気に入るような大学になれと、文科省が大学を誘導していることにほかなりません。もし、文科省が大学のブランディングを助けようというのなら、たとえば、期間を区切って、大学の学生数に応じて、一律に私学助成金を上乗せして、特色ある大学になってくださいと激励してはどうですか。ブランディングできるかどうかは、大学の努力次第で、できなかった大学は自然淘汰されていくだけです。

「全学的な独自色を大きく打ち出す」とありますが、こうした抽象的な目標を掲げれば、役人の裁量が働く余地がたっぷりでてきます。文科省が公表した選定された大学名と事業(下記のリンク参照)をみると、たしかに個別の研究費では対応できないような内容のものが多いように見えますが、中核的な研究に、全学的な取り組みになるようなトッピングしただけ、という印象を受ける大学も散見されます。

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助成金の本質かもしれませんが、この事業は、大学からすれば、どんな事業が大学の質を高めるかという「WHAT」よりも、どうすれば選定されるかという「HOW」に力を入れそうなものになっています。今回の事件でも、局長自ら、申請書の書き方を指南したという話も流れていますし、コンサルタント的な役割を果たしたとみられる会社役員が逮捕されています。「HOW」が重要な補助金には、コンサルタント的な人々が暗躍したり、文科省から大学に天下りした人々が活躍したりする余地が大きくなります。「文科省の助成事業を獲得するなら、コンサルかOBを雇え」とは、よく聞かれる言葉です。

大学経営では、「2018年問題」という言葉があり、大学に入学する18歳人口が2018年から減少に転じ、大学経営が厳しくなるという課題を抱えています。文科省が特色ある大学づくりや統廃合に躍起になるのは、こうした理由からですが、生き残り策を考えるのは大学にゆだねるべきで、役所が口をはさめば、役人の頭のなかでの「国際競争力」や「ブランド」のある大学しか育ちません。こうした仕組みが機能するなら、日本には世界ブランドの大学がもっとふえていたはずです。

今回の事件を捜査するのは検察で、その結果、個人の犯罪が明らかになると期待します。しかし、この助成事業をめぐって、ほかの大学には政治家の介入がなかったのか、文科省の天下りを含む介入はなかったのか、コンサルタントが暗躍したことはなかったのか、さらには、助成事業の問題についても追及するのは、メディアの領分でもあると思います。

(2018.7.8 「情報屋台」)