水際では止まらない新型肺炎の影響

(2020年2月2日、情報屋台)

中国湖北省武漢市で発生したウイルス性の新型肺炎などの患者は、中国だけではなく世界各地に広がり、患者数も日ごとに膨れ上がり、収束の気配は見られません。

 

WHO(世界保健機構)は、新型ウイルスによる「状況報告」を日々更新していますが、2月1日の報告によると、23か国に広がる感染者は11,953人で、前日に比べ2,128人増加しています。このうち98.9%にあたる11,821人が中国で、259人が死亡、1,795人が重症となっています。

https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019/situation-reports/

 

この日の報告では、フランスで医療従事者の感染、ドイツでの3次感染、日本で感染した人(中国人)が韓国で患者と確認などが、いずれも中国以外で初めての事例として記載されています。また、中国以外の「人から人への感染」として、日本のツアーガイド、タイのタクシー運転手などの事例が報告されています。報告には、新規感染者のうち湖北省の比率を出していますが、1日は64%で、感染が湖北省にとどまっていないことを示しています。

 

WHOの報告は、世界各国からの報告を集計するため、中国については中国政府の発表より1日遅れになります。中国政府が2日発表した数字は、患者の合計が14,380人で、死亡者は304人となっています。

 

今回の肺炎はコロナウイルスによるもので、2002年から03年にかけて中国と香港を中心に世界的に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)もコロナウイルスだったので、SARSとの比較は意味があると思います。SARSの患者数は約8,000人でしたから、患者数では、すでにSARSを上回りました。しかし、SARSの死亡者は800人弱で、致命率(致死率)が約10%だったのと比べると、今回は約2%です。症状が出ていなくても感染の可能性があるなど、感染力はSARSよりも強いようですが、いまのところウイルスの毒性はSARSよりも弱いようです。ただし、患者の中には重症の人も多く、ウイルスが毒性の強いものに変異する可能性もありますから、毒性については現時点では、ということになります。

 

日本政府の対応は

 

事実上封鎖され武漢市では、増加する患者に医療の対応が追い付いていないようですし、生活物資を手に入れるために外出するリスクを考えれば、日本政府がチャーター機を出して、帰国希望者を日本に戻す措置を取ったことは、適切だったと思います。しかし、8万円の航空運賃を取ろうとしたことは、「お金のない人は残れ」ということになり、「邦人保護」の緊急措置という意味からはずれています。批判を受けて全額公費負担に切り替えたのは、当然のことでしょう。

 

それ以上に問題だったのは、帰国した人は自宅に戻し、希望する人だけは政府が用意したホテルに宿泊してもらうという対応でした。実際には、家族への感染を恐れたのでしょう、ほとんどの人がホテル滞在を希望したため、「濃厚接触」となる相部屋になる人が何組も出ました。感染に対する危機感を持っていたのは、日本政府よりも武漢に滞在していた日本人ということになり、実際にも、帰国者から複数の感染者が出たことで、帰国者の心配の方が正しかったことを証明しました。結果論かもしれませんが、当初から宿泊施設で全員を「隔離」すべきだったわけで、日本政府の対応の甘さを露呈することになりました。

 

パスポートの発行を申請すると、5年間有効で11000円、10年間有効で16000円の手数料を取られます。その内訳は、都道府県の経費が2000円で、残りは国が受け取りますが、そのうち4000円が発行に伴う直接経費で、残りは年1000円ずつの間接経費(5年間で5000円、10年間で10000万円)だそうです。この間接経費が邦人保護に充てられるものだと外務省は説明していますが、今回のような緊急事態に使うことを想定していないとすると、いったい何に使っているのかと言いたくなりますね。

 

こんな話を持ち出す気はなかったのですが、こうしたちぐはぐな対応を決めているのは、現場の声も聞かずに事なかれ主義で動いているトップの官僚たちでしょう。いまの政権の人たちは「自己責任」という言葉が大好きですから、官僚はこの言葉に縛られたのでしょう。お役人たちの政府への忖度ぶりと、一般の邦人への冷たい対応を見ると、公務員の仕事の第一は国民の生命、財産を守ることではないかと言いたくなりました。

 

経済への影響

 

武漢のように町全体が封鎖された地域はもちろん、ほかの地域でも人の移動が規制されたり、自主的に抑制されたりしています。生産面でも、武漢だけではなく周辺の都市にも操業停止の動きが広がっているようです。そうなると、新型肺炎の「アウトブレイク」(地域的流行)は、中国全体の消費や生産を低下させるとともに、世界的にも大きな影響を与えることになりそうです。経済的な影響のほうが「パンデミック」(世界的な流行)かもしれません。

 

SARSとの比較でいえば、SARSが流行した当時の中国といまの中国は大きく違っています。中国のGDPは、2002年から2019年にかけて約8倍になっています。2002年当時の中国の経済規模は世界第6位で、世界1位の米国の10%、2位の日本の35%でしたが、2018年でみると、米国の65%まで接近、日本の2.7倍になっています。

 

中国の消費が新型肺炎の影響で冷え込めば、中国にいろいろな財やサービスを輸出している国の経済も冷え込みます。また、中国は世界の工場として、世界から部品を調達して最終製品に仕上げて輸出していますから、中国の製造部門が落ち込めば、中国に部品などを供給している各国の企業にとっても大きな痛手になります。

 

「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」という言葉があります。環境のわずかな変化が世界的に大きな変動になる、というたとえとして使われた言葉ですが、いまの中国はくしゃみをすれば、世界中が風邪を引くような存在になっています。このところの中国経済の減速が世界景気の勢いを弱めている要因になっていましたから、ここで中国が大きく減速すれば、世界経済も落ち込むことになるでしょう。2008年のリーマンショックのような「コロナショック」が起きても不思議ではありません。

 

2002年と2003年の中国の経済成長率は、2002年が9.1%、2003年が10.0%で、グラフでみても、高度成長の真っ盛りで、SARSの影響は感じられません。感染が拡大した2003年第2四半期(4-6月)には、旅客業や小売業の落ち込みはあったものの、鉱工業生産や輸出への影響は少なく、GDPの成長率は少し鈍化した程度でした。高度成長の勢いがSARSの影響を飲み込んだのでしょう。

しかし、いまの中国は個人消費の比率が拡大しているため、新型肺炎による消費の落ち込みは経済全体に大きく影響します。また、武漢のような生産拠点の経済活動が大きく落ち込めば、中国全体の経済成長も大きく落ち込むことになるでしょう。日本のエコノミストたちは、今年第1四半期(1-3月)の中国経済を年率で6%程度の成長から4%程度の成長になると予測しています。しかし、このままの勢いで新型肺炎が猛威をふるえば、第1四半期だけでなく通年でも、4%程度の成長になるおそれもあるでしょう。

 

日本は、昨年10月からの消費増税で、直後から消費が大きく落ち込み、10-12月期のGDPがマイナス成長になるのは確実で、政府は、大型の補正予算によって今年第1四半期以降に回復するとしてきました。しかし、今回のコロナショックで、その期待は消し飛ぶおそれも出てきました。

 

明日は我が身

 

病院の廊下まであふれる診療を求める人々の群れ、人や車の出入りが途絶えた繁華街、というのが武漢のニュース映像です。ひっそりと家の中で暮らし、外に出るのは生活必需品の買い出しのときだけ、といった生活なのでしょう。ニュース映像で出てくる市民はみな「この困難に打ち勝つ」と語っていますが、家の中では、これからの暮らしがどうなるのか悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

 

日本政府は、武漢のある湖北省に滞在していた人の入国を拒むという措置を取ることにしました。日本での蔓延を防ぐには、こうした非情な措置も仕方ないのかもしれませんが、武漢からの人々を押し返しながら、「武漢加油」(武漢がんばれ)と、エールを送るというのも、割り切れない思いが残ります。

 

武漢を想いながら、カミュの『ペスト』(新潮文庫)を読み返しました。ペストの発生で町全体が封鎖された北アフリカの都市を舞台にした小説で、ペストは突然に現れ、突然に去っていきます。

 

小説では、ペストが発生すると、町の人々は戦争と同じように「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」と思うのですが、その期待は裏切られます。

 

天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり……

 

たしかに、今回のコロナウイルスも、為政者たちの大事にはならないという尺度とは一致せず、悪いほうに展開していきます。ペストは、やがて収束し、これに立ち向かった人々(ヒューマニズム)の勝利だと、読者としては思いたいのですが、不条理の作家は、次のような言葉で小説を結びます。

 

ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。

 

訳者の宮崎嶺雄氏は、ペストは、「あらゆる種類の人生の悪の象徴」として描かれていると、解説しています。コロナウイルスは、我がもの顔で地球にはびこる人類とう生物に対して自然界が襲う「パンデミック」の序章のような気がしますし、異常気象による台風や洪水は地球の秩序を破壊してきた文明に対する自然界の復讐のような気もします。私たちが「ペスト」や「コロナウイルス」に象徴される不条理と戦う日々に終わりはないようです。

(冒頭の写真はWHOのHP画像)