7年目の被災地

(「情報屋台」3月1日)
この3月11日で、東日本大震災から7年目となる。被災地の状況はどうなっているのか、一言でいえば、ばらばらだとしか言えないと思います。たとえば、大きな被害を受けた宮城県石巻市の中心街を歩けば、それなりのにぎわいと、それなりの閑散さが混在し、ほかの地方都市との違いを見つけるのは難しいでしょう。しかし、津波の直撃を受けた海岸近くに行けば、手つかずの空き地が広がるなかで、ぽつんと災害復興住宅が建っています。石巻の郡部といわれる牡鹿半島を周れば、防潮堤の建設で、ダンプカーがひっきりなしに行き来しているところもあります。

仮設住宅に住んでいた人々も、ほぼ災害復興住宅を含め、別の場所に移り、「避難民」ではなくなりましたが、元々のコミュニティーは崩れ、仮設でつくられたコミュニティーもなくなり、あらたな場所で孤立している人たちも多くなっています。地域コミュニティーという暮らしと心のよりどころを失った人たちの心とからだの健康をどう保つかは、これからの課題になっています。

先日、北上川の河口にあたる地域を訪ねたときに、そこに住む友人から、「おれの親父が出てくるから」と、ある本をいただきました。英国人のジャーナリスト、リチャード・ロイド・パリー氏が著した『津波の霊たち』(2018年1月発刊、濱野大道訳、早川書房)で、多くの児童や先生が津波で亡くなった大川小学校の遺族や、この地域に住む人々の話が中心になっていました。同じ遺族のなかでも、遺体が見つかった家族と見つからない家族、学校や市の責任を追及する家族とそれを避ける家族…。当初は「被災家族」という大きな糸にからまっていたのが、微妙にほぐれて、ばらばらになっていく様子が描かれています。そこに書かれている子どもを想う親の言葉を読んでいると、せつなくて、せつなくて、涙が止まりませんでした。

私たちは、震災直後に「東日本大震災こども未来基金」というNPOを立ち上げ、多くの個人や企業、団体からの寄付金を、震災で親をなくした子どもたちの学資支援につなげる活動を続けてきました。具体的には、小学生から高校生の児童・生徒に、高校を卒業するまで月2万円の学資支援を供与しています。これまでに支援した児童・生徒は約200人で、現在は114人の児童・生徒を支援、この3月には16人の生徒が高校を卒後することになっています。住所が仮設から復興住宅などに変わる家族がふえるにつれて、少しずつ復興しているのだなと実感しています。高校を卒業した人たちは、そのまま働いたり、大学や専門学校を卒業して働いたりしています。

先日、この春に専門学校を卒業する女性に会いました。幼稚園の教諭と介護福祉士の資格と両方を取ると聞いていたので、就職先は幼稚園を選ぶのかなと思っていたら、老人介護の福祉施設に就職するとのことでした。中学のときに両親や兄弟を亡くしているのですが、介護という選択をしたのは、思うところがあったのかなと想像しました。

この基金は、昨年、高齢で亡くなったふたりの女性から遺産をいただきましたので、学資支援だけでなく、被災地の子どもたちをケアしている団体への助成事業も始めました。そうした団体の代表のひとりに、最近の子どもたちの状況を尋ねたら、PTSDから不登校になったり、統合失調症になったり、という例もあると話していました。震災からもう何年もたっているのだから、という周囲からの圧力が不登校の引き金になっていると言います。たしかに、もう7年にもなるのだからと私たちは思います。しかしサイレンのような音を聞くとパニックに陥ったり、「小さな靴」といった歌詞の言葉で泣き出したり、幼いころに親に甘えられなかったため今頃になってだだをこねたり、といった震災起因の例がたくさんあるのだと語っていました。

私は、テイラー・アンダーソン記念基金というNPO活動にもかかわっています。石巻の英語助手として働いていて津波で亡くなったテイラー・アンダーソンさんの「米国と日本の懸け橋になりたい」という意志をつなごうと設立された団体で、テイラーさんの父親であるアンディ・アンダーソンさんが米国側の理事長になっています。この団体は、毎年、テイラーさんが好きだった読書を広げようと、石巻市内の学校に「テイラー文庫」という本棚と英語の本を寄贈していますが、今年は石巻市の雄勝小中学校に寄贈することになり、その寄贈式のため、アンディさんが2月末から3月初めにかけて来日しました。

いつもはテイラーさんの母であるジーン夫人が同行するのですが、今回はテイラーさんの弟であるジェフが同行しました。ジェフも、姉の意志をついで、奈良県で2年間、英語助手をして帰国したところです。アンディさんは、テイラーの意志を少しでも実現しようと、米国でのファンドレイジングに尽くしています。そのおかげもあって、テイラー基金は、テイラー文庫以外にも、日米の高校生の交換プログラムなど、いろいろな活動を続けています。

被災地の3月は、いろいろな思いが交錯する月です。私も、被災地のいま、といったタイトルで、被災地の現状を発信してきました。ことしは、「ばらばら」の状況が広がるなかで、一般的に被災地のいまを語る自信がなくなりましたので、自分の身の回りの話を書きました。最後に、「一言でいえば」を、もうひとつ加えるならば、「震災はまだ終わっていない」ということです。